ミルクとショコラの日記

2016年3月生まれの双子の姉妹猫ミルクとショコラの楽しい毎日&栄養士ママの献立や豆知識

3.11・・・

 

 

こんばんは🌙ミルク&ショコラのママです♪

 

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今日は、3.11東日本大震災、8年前の今日を思い出します。

 この地域も被災地で、震度5強を記録しました。ママは当日、長男君がまだ小学生でPTA広報委員会の委員長をやっており(網だくじで強制的に委員長に当たってしまっただけです。)3.11金曜日の15:30に学校のパソコン室に集合して、広報紙の印刷をする予定でした。14:46大地震発生、学校へ行く用事の為に仕事は有給を取っていたので、まさにその時間は自宅リビングに一人でいました。ネコちゃん達はまだ飼っていませんので、もちろんいません。すごい地震でした!家がミシミシ言いながらもの凄く揺れだして、リビングにある棚がグワングワン前後に揺れて今にも倒れそうで、しばらく押さえていたのですが危険を察知して「外に逃げなきゃ」と瞬間的に思い窓から飛び出しました。今思うと、屋根から瓦や落下物などがあって、ぶつかっていたら危険だったなあとつくづく思います。

 庭の前は、今は16世帯のアパートが建ってしまいましたが、当時は広い空き地だったので庭のフェンスを越えて空き地の真ん中へ避難しました。外の電柱や、電線も、ものすごい勢いで揺れて今にも倒れそうでした。もし倒れても自分が安全だと思う場所ではありましたが、生まれて初めて体験する大地震、地面が割れて足元から裂けていくのではないかと思い、この世の終わりなのではとさえ思いました。それほど現実離れした地震でした。しばらくすると地震がおさまってきたので、家の中に戻りテレビをつけると、東北地方で震度6弱の地震があったとニュース速報をやっていました。こんなもの凄い地震を体験した直後にもかかわらず、「そうだ広報委員会の集まりに行かなきゃ・・」と思い、車で小学校へ向かいました。小学校へ着くと、津波警報が出ていたので子供達は屋上へ避難しており、先生方は保護者の誘導をしていました。学校の緊急メールも回線がパンクしていたので、みんなに届いてませんでした。電話ももちろん架ける事も出来ない状況でした。グラウンドで広報の担当の先生が誘導をしていたので、「広報紙の印刷に来たのですがどうなりましたか?」と訪ねたところ、こんな状況で何を言っているんだと呆れた感じで、「今日はこんな状況で無理なので、目途がたったら後日連絡します。とりあえず子供の引き渡しを優先して下さい。」と言われました。

まだ正直そんなすごいことが起こっていると実感がありませんでした。それより広報紙が気になりました。他の役員にも連絡をしなければと気になり、とりあえず学校で偶然会えた人には「後日になりました。」と口頭で伝えましたがみんな「そんな事、あったっけ?!こんな時に何を言ってるの?」ぐらいの勢いでした。屋上へ長男君の迎えに行くと、子供達はみんな動揺しており、泣いている子供や、妙にハイテンションの子供、先生方も動揺を隠せない感じでした。

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次に、二男君の保育園に迎えに行かなければと思い保育園へ向かいました。迎えに行く途中、車中のテレビでは津波のLIVE映像が報道番組で流れており、その映像にも驚きました。道路に津波が到達して車を飲み込んでいき、ビニールハウスや家、高速道路まで飲み込んで洗濯機のように車がぐるぐると波で巻き込まれていました。現実に起きている事とは思えずまだ実感がない感じでした。

保育園につくとまだ二歳の二男君や他のお迎えを待つ子供達も、寒い中園庭に出ており、お昼寝布団を体に巻き付けて先生が抱きかかえるように子供達をかこっていました。かなり遅い迎えになってしまい、残っている子供はわずかしかおりませんでした。寒そうにママのお迎えを待っていた二男君、その光景を見てもっと早くお迎えに来てあげればよかった。可哀そうなことをしてしまったと後悔したのと同時に、今起こっている事が、凄い事なんだと少しずつ実感してきました。

 帰りにガソリンが少なくなっているので、もし遠くに逃げなければいけないとか、ガソリンが枯渇して無くなってしまうのではと思い、ガソリンスタンドへ行き給油しました。みんな同じ事を考えているようでガソリンスタンドも混んでいて、車の大行列でしたが、なおさら今入れておかなければと思い無事に満タンに入れる事が出来ました。パパにも回線がパンク状態で連絡も取れない状況で、不安ながらも子供達と帰宅しましたが、テレビではずーっと震災の悲惨な映像ばかりが流れており、頻繁にやってくる余震に驚くばかりでした。

 夜、パパも帰宅して家族全員そろって安心しましたが、余震が頻発して、ひどすぎて近くの中学校が避難所になっていたので、実家の両親も避難所へ行くと言っていたこともあり、その晩は避難所へ泊る事にしました。避難所では、乾パンと、おにぎり弁当を支給していてそれを食べて、二男君はまだおむつをしていた年頃だったので、そんな環境で不安だったと思います。避難所でも余震のたびにみんなで大声を上げて、本当に怖い思いをしましたが周りに同じ環境の人達がいる事で心強く思いました。

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 翌日は土曜日。家に帰ると水が出ない事に気付きました。断水してしまったようです。「昨日は出ていたのに何で?」と思いましたが、水源近くの上水の水道管が破裂している為だと街頭放送で流れてきて、給水車が設置されているとの事でしたが、給水車の場所まで遠いのと、お風呂は?トイレは?ご飯のしたくは?って、全て水が出ないとできないし・・・それから結局1ヵ月近く断水してました。

 まずお風呂と洗濯は、車で約5分の実家が地下水のため水が出るので、お風呂に入らせてもらい、ついでに洗濯をさせてもらいました。トイレ、洗い物等は、隣の家が水道の他に地下水も引いているので、湯船に一杯水を張っておいて、バケツで必要な分だけトイレ等に使い、又なくなったら、満杯に水を張ってと言う感じで、使わせてもらい何とか1か月の断水生活もクリア出来ました。(震災後我が家も井戸を掘り地下水が使えるようにしました。)

 学校や、保育園も震災の日から約1ヶ月お休みになってしまいました。断水で給食の提供が出来ないと言う理由です。ママは当時フルタイム勤務をしていたので、ずっとは仕事も休めないので、実家に見てもらったりして何とか仕事に行く事は出来ました。パパも勿論いつもと変わらずに会社へ行っていました。  

 当時は、自分の事、子供の事、等々、毎日が必死過ぎてどうして仕事へ行けてたんだろうと忘れてしまってる記憶もあります。あれから8年、子供達も成長しあの時の記憶も忘れてしまっているかもしれませんが、(二男君は二歳なのでもちろん覚えていません。)毎年3.11になると、当時のいろいろと大変な体験をした事を思い出します。平和が一番ですね。ネコちゃんも、当時もし飼っていたら怖い思いをさせてしまっていたと思うと可哀そうですが、まだ我が家には居なかったから良かったです。

大切なものが多いと、守るものが多くなり心配が増えてしまいますから・・・

 

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我が家の天使です(´▽`) ホッ

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本当にかわいいミルクとショコラです♡♡

ジャンジャン(^-^;

 


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